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2017/12/14 (Thu)

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No.14
2008/11/01 (Sat)

もう会期もこの後の回覧も終了(海外ではまだ回るらしい)した美術展。
自分メモとしてアップ。



この展覧会の鑑賞に関しては、体力の都合でとてもざっくりみた。
なので一枚一枚に思いをはせるというより、全体の印象が残っているに留まっています。

そして展覧会の概要と最後の方は絵画論?みたくなってしまったので、あまり感想ともいえない内容になっています。




ジョン・エヴァレット・ミレイ展

http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/08_jemillais/index.html

2008年8月30日[土]-10月26日[日]
Bunkamuraザ・ミュージアム




この作家の作品でもっとも有名なのは死せるオフェ-リアだ。
浴槽に水を張り、その中にモデルをいれて、始めは湯だったものが冷えて水になり、モデルはその冷たさに蒼白となったノというのを見て描いたと言われている。

とにかく画面からうける印象は輝くようにうつくしい。
視覚にするっと入ってくる、目を引く美しさ。
描かれている人物の思わせぶりだがわざとらしくない表情。
そこに載せられたハッとするような主題。
細部に目を向けると、画面の隅々まで書き込まれた凝縮された画面。
それでいて壁にかけておいても邪魔にならない適度な引き加減。
ここがこの作家のキモかもしれない。


非常に緻密に画面を埋めていく画家であり、一見古典的にみえてその古典から離れようとノ超えようとした画家でもある。
いままでひとつふたつを他の作家にまぎれて見ていた時には気が付かなかったが、まとめて大量に鑑賞すると、この作家は案外あざとい商業作家だったことに気がつかされる。
そしてそれは伝統主題の縛りをとりはらった、イラストレーション時代への黎明であるようにもみえた。
ある意味、現在の絵画への道筋をつくった人なのかもしれない(それに関しては後述)。


そのせいかはわからないが、彼を有名たらしめた数々の人物画より、展示最後の晩年の風景画が非常に印象に残った。
オーダーから離れて描かれて、それゆえ作家の心境がそこに映っているようにみえたからだろうか。





まず展示のカテゴリの順番に

■入口近くはミレイが若い頃の作品が並ぶ。
このころは技術を追求する姿勢が強く見える。
主題は古典を今までとは違う角度でかこうとしていたことも窺える。
しかしそのふたつの志向がかみあっておらず、技術の試行錯誤の様が目立つだけで、絵そのものから作家が描きたいものがみえてこない。
そし徐々にそこがかみあってきて、描きたい物をかく、となってきたようにみえてくるが(火事場から少女たちを救う男の絵など)どうやらそれらはあまり売れなかったらしい。
こういう時代を経てきたのかと思うと、ミレイの指向の揺れを感じて面白い。

■そこで方向を転換させ、持てる技術をつかいつつ、今までにはなかった主題を、タブーとされた構図(画面の切り取り方)を、それでいて人が望む突出しすぎない画面を作ることに至ったノそれがオフィーリアや一連の作品になったようだ。すくなくともそういう意図で展示されていたように思う。

■それが発展して、古典主題ではなく、かといって現実を描写したものでなく、架空のストーリーを想定した上での場面をつくる絵画形態へ至った。愛らしい少女が墓地の彫刻の上でうたた寝する姿、問いかけるような目の少女。ファンエイクのロウソクハイライトを思わせる、時を一瞬とめたようなドラマティックかつロマンティックな絵画が続く。
これはアカデミーには反感を買ったらしいが、市井の富裕層には劇的に評価されたようだ。

■その富裕層にオーダーされた肖像画群が並ぶ。
架空のストーリーを描いたそのままの情感を、現実の人間を描く時も適用した雰囲気。
しかし必ずいれこんでいた背景の植物群はだいぶ省略されてラフになった分、主役の人物に目がいきやすくなるようになる。
肖像画という性質のせいなのか、オーダーをこなすためなのかはわからないが、省略され筆跡がはっきりわかる早描き薄乗せ絵具であっても画面の密度が保たれていて、高い技術がさらにこなれていっていることが見て取れる。
モデルを美化させてるいるのが窺えるのだが、これだけ技術力が高いとそうした媚びはあまり感じず、ひたすら圧倒される。こてこてだなーとは思うけど(笑)。

■晩年の風景画が最後に数点。
海からのぞむ城。うっそうとした森の木々の合間からみえる高い空。夕日の赤い光にあふれた高原。澄んだ光にみちた湖岸に映る木々。
そうした絵画の中で、森の奥からほのかな橙色の光があふれ、下生えに茂るシダに霞むように光が照り返す幻想的な風景画があった。この絵はミレイのどの絵とも印象が違って見える。技法も他にあまり見ないものだった。ミレイの画業の中では異質にもみえるこの画が一番印象に残った。
異質だからかもしれないけど(笑)。







そして前述したミレイの絵がイラストレーションの精神に近いという話。

これは個人的な見解だが、芸術絵画とイラストレーションは別のものだと思っている。
絵画は、それまでの伝統を踏まえた上で形成されるものだ。
一方イラストレーションはそれまでの絵画の伝統を考慮せずにかかれた絵。
そういう意味では印象派もイラストレーションといえるし、1960年代くらいまでの前衛絵画もイラストレーションといえる。しかし、印象派も前衛もそれまでの伝統に対しての反逆の感性であり、伝統に相対するからこそありえた現象なので、芸術であるといえる。
しかし伝統を踏まえずにかかれたものは美術であっても芸術ではない。

ミレイは、架空のストーリーの元に人物を描くことが多かった。
それは伝統とはつながりがない行為なので、アカデミーの反感を買ったのはうなずける話だ。
(ただし後年ミレイはアカデミー会長に選ばれている。無視できないほどの影響力がうかがえる。お金持ちのパトロンたくさんいて、本人もかなり裕福だったのもあるかも。)



しかし現在、世の中に氾濫する絵画は架空の物語のいち場面を描いたもの、いわば本の挿し絵のような画が一般的になった。
伝統を知らずに見ても意味が通る、わかりやすいテーマをかかげることによって市井にひらかれた絵画、それがイラストレーションではないか。
日本人が印象派を好きなのも西洋絵画の前知識がナシで鑑賞できるからだと思う(実際には伝統を知った上で鑑賞したほうが、伝統にとらわれながらそこから逸脱することに苦心した様が窺えて、より深く鑑賞できると思うが)。

ミレイの架空場面の創作は、技法こそ古典をふまえているとはいえ、古典のくびきから完全に離れたテーマや構図にみえる。
そのせいか大変に今日的で、現代の人間にも入りやすい絵画、イラストレーションになっている。
ミレイは印象派が登場する前からそれをやっていた、むしろ印象派に影響を与えた点で更に先進的だった。
現在、西洋の古典の伝統をひきついで仕事ができる画家は修復師くらいではないか、という事を考えても、ミレイの感覚の新しさを感じる。


ま、私は古典の枠に囚われた中で表現された世界観が大好きなんだけどね!(笑)





そういうことはごちゃごちゃ考えず、ただただ無心に鑑賞したらその美しい世界にうっとりと満足することができるだろう。
私はその美しさに作意を感じてうっとりはできなかったけど、寒気がするほどの技術に溜息がでた。



それにしても中高年のおねえさま方の人波がすごかった。
大抵の美術展でいる老紳士諸氏がほとんど目立たないほどおばさまばっかり。
おそらく前述したイラストレーション的なわかりやすさがおばさまホイホイになっているのかもしれない。周りのコメント聞いてたらそんな印象を受ける。

私はノひとつふたつを散見していた時のミレイはすごいと思ったが、大系としてミレイを見たら、練り混まれた売れる為の作意が目についてちょっと評価を落としてしまた気がする。
古典絵画なんてそうした作意だらけなのに、なぜミレイの作意が受け入れられなかったのかノロココ美術が大嫌いなのに近い理由(伝統の問題)かもしれない。
そんな結論に至るなんて思いも寄らなかったので、このミレイ展は意外性に富んでいた。

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